
10月25日 宮崎の総合病院に搬送。
10月26日 同病院に入院。
11月2日 「備忘録」をつけ始める。
*特記事項*
*10月25搬送から26日のお昼ごろまでの記憶がほとんどない。
*10月27日
午前、夫が父からのメッセージを伝えに来てくれた。午後も面会に来てくれたが、病院の規則で2回目は受け付けてもらえなかった。無念なり。
*10月28日
午前、夫面会に(サングラスを頼んでいた)。
午後、2階外科病棟から5階内科病棟に移る。朝日の当たる部屋で遠くの木々の緑、紅葉樹、空は高く青く、レースのカーテンが揺らいでいる。
*10月29日
体温 37度超えなくなった。
血糖値上がるとお腹にインシュリンを打つ。首の太い血管に点滴ニ管していることで自由がきかず肩が凝る。
*栄養管理師より食品についてのアレルギー有無を聞かれる(特別食のペースト食を作るため)。
*10月30日
日中でも目をを閉じると網膜の残像が消えては入れ替わり悩まされ続いている。エジプトやトルコやインドの織物、工芸品の鮮やかな紋様が網膜に張り付いて繰り返し現れる。
スマホLINEの使い過ぎが目を疲れさせているようだ。
おもしろいことを記そう。
30日未明、大好きな絵本作家の角野栄子さんが娘さんも一緒に現るる。私の実家に行ってみたいので案内してほしい、と。宿泊先も具体的で夢だったのか? 不思議なやりとりだった。忘れてならない。ノートに書きつけた。
*昼食 ペースト食開始。
*尿管と首の点滴の管が外され解放!
*夜間照明を落としても残像は現れない。気持ち良く眠れた。
10月31日
*毎度インシュリン打って朝食。
*主治医より「順調に回復している」と聞く。
*鼻の酸素吸入管外される。
11月1日
*骨髄検査結果、異常無し。
*病室内外を自立歩行できるようになった。
*主治医より「リハビリテーション総合実施計画書」の説明を受ける。
*リハビリ担当者が来て、病室でバランスチェック(片足立ち、スクワット、足伸ばし、足押し)。
*院内売店での買い物を依頼。
スケッチブック、色鉛筆12色、赤のボールペン、黒の油彩ペン、横書きノート。色鉛筆は扱っていなかった。残念なり。
11月2日
*リハビリテーション
自転車を5分漕ぐ。階段昇降5分。
夕方、自主トレ 外廊下を20分歩く。
11月3日
*緑豆(りょくとう)の全粥食べて文化の日
ようやく俳句気分になれた。
11月8日
*見守りシャワー。
*リハビリ 自転車漕ぎ、階段昇降。
11月10日
*リハビリ 病院の外に出て周辺を歩く。勾配のある場所をゆっくり歩く。
11月11日
*ひとりでシャワー浴びる。
11月13日
*体重測定
7号サイズだ。
若い頃なら喜びの体重であり、理想的なBMIだ。
11月14日
退院。
見守ってくれた家族、友人たちに感謝します。
「病床日記」ならぬ「備忘録」の文字は、判読不明の箇所が多いです。又、記憶のない部分については夫に聞きながら、ゆっくり時間をかけて、書き起こして行きたい。
書き起こす「病床日記」小春かな